週末だけの恋人
A real story from our community

彼との出会いは、ありふれたマッチングアプリだった。ただ一つ違っていたのは、そのアプリが"声"と"文章"だけで繋がるというコンセプトだったことだ。プロフィール写真はぼやけた風景画で、年齢と簡単な自己紹介文だけが彼を知る手がかりだった。
日常に少しだけスパイスが欲しかった。夫との関係が冷え切っているわけではない。ただ、そこにはもう、ときめきや情熱といった類いの感情は存在しなかった。そんな乾いた心に、彼の声は染み渡るようだった。
彼の名前は"レン"。私は"ミサ"。私たちは互いの顔も本名も、職業さえ知らない。ただ、彼の声は低く心地よく、そして彼が紡ぐ文章は知的でユーモアに溢れていた。
最初のうちは趣味や好きな本、映画の話をした。レンは私が見ることもないような古いモノクロ映画に詳しかった。私は彼に最近読んだ小説の話をした。私たちの会話はいつも心地よいテンポで進んでいった。顔が見えないからこそ、私たちは外見やステータスといった余計な情報に惑わされることなく、互いの内面に惹かれていったのかもしれない。
「ミサさんの文章は、とても丁寧で美しいね。まるで、上質なシルクのようだ」
ある日、彼からそんなメッセージが届いた。私の文章を褒めてくれる人は今までにもいたが、レンの言葉は特別に心に響いた。私の内面を、本当の私を、見てくれているような気がした。
関係が少し変わったのは、ある夜のことだった。
「ミサさんは、どんな声が好き?」
レンからの突然の質問に、私は少し戸惑いながらも「レンさんみたいな、落ち着いた低い声、好きですよ」と返信した。
「ありがとう。俺はミサさんの電話越しの少し掠れた声が好きだ。なんだかそそられる」
その言葉に私の頬が熱くなるのを感じた。それから私たちの会話は少しずつ官能的な色を帯びていった。
「今、何してる?」 「お風呂上がり。バスローブを着てワインを飲んでる」 「いいね。バスローブの下は何も着てないの?」
彼の言葉はいつもギリギリのラインを攻めてくる。でも決して下品ではなく、私の想像力を掻き立てる巧みなものだった。
私たちは互いの体を言葉だけで探り合うようになった。
「レンの指はきっと長くて綺麗なんだろうな」 「ミサの髪はきっといい匂いがするんだろうな」
顔が見えないからこそ想像はどこまでも膨らんでいく。彼の言葉の一つ一つが、私の体に実際に触れられているかのようなリアルな感覚をもたらした。
ある夜、彼は私に一つの提案をしてきた。
「今夜、俺にミサの体を言葉で愛させてくれないか?」
私はゴクリと唾を飲んだ。それはあまりにも大胆で魅惑的な誘いだった。
「…うん」
私がそう返信すると、レンからのメッセージが立て続けに送られてきた。
「まずベッドに横になって。そしてゆっくりと目を閉じて」
私は彼の言う通りにした。暗闇の中でスマホの画面だけがぼんやりと光っている。
「俺は今、君の隣にいる。君の髪を優しく撫でてその香りを吸込んでいる。甘くて少しだけ花の香りがする」
彼の言葉が私の脳内で鮮やかな映像を結ぶ。
「次に君の耳元に唇を寄せる。そして囁くんだ。『綺麗だよ』って」
ぞくぞくとした感覚が背筋を駆け上る。
「君の首筋にキスをする。温かくて柔らかい肌。君の心臓の音が少しずつ速くなっていくのが俺には分かる」
彼の言葉はまるで魔法のようだった。私の体は彼の言葉に導かれるように熱を帯び、潤っていく。
「バスローブの紐をゆっくりと解いていくよ。現れるのは俺がずっと夢見ていた君の白い肌だ」
私は実際に裸にされているかのような錯覚に陥った。
「君の胸の膨らみを手のひらで優しく包み込む。そしてその先端に舌を這わせる。君は甘い声を漏らすんだ」
「んっ…」
思わず声が漏れた。恥ずかしかったけれど、それ以上に快感が勝っていた。
レンの言葉による愛撫は私の全身をゆっくりと丁寧に巡っていった。そしてついに私の最も敏感な場所へとたどり着いた。
「俺の指が君の秘密の花園に触れる。もう蜜で溢れているね。一差し指で優しく円を描くようにその入り口をなぞる」
私の腰が自然に浮き上がった。
「そしてゆっくりと君の中へと入っていく。熱くて柔らかい。君は俺の指をきつく締め付ける」
もう限界だった。私の体は彼の言葉だけで快感の頂点へと達しようとしていた。
「ミサ…もう我慢できないだろ?俺もだよ。一緒にイこう」
その言葉を合図に、私の体は大きく痙攣した。スマホを握りしめたまま、私は深いエクスタシーの海に沈んでいった。
それから私たちの週末の夜は、決まって言葉のセックスで満たされるようになった。レンは私の体の隅々まで言葉で愛してくれた。時には優しく、時には激しく。私は彼の言葉に翻弄され、身も心も蕩けていった。
しかし、関係が深まるにつれて、私の心には満たされない思いが募っていった。言葉だけでは物足りない。実際に彼に触れたい。彼の体温を感じたい。そんな思いが日に日に強くなっていった。
ある日、私は思い切って彼に聞いてみた。
「ねえ、レン。私たち、会うことはできないのかな?」
しばらくの沈黙の後、彼から返信があった。
「ごめん。それはできない」
彼の返信は短く、そして冷たかった。私はショックを受けた。彼も私と同じ気持ちでいてくれると、どこかで信じていたからだ。
「どうして?」
私は食い下がった。
「俺には家庭があるんだ」
彼の言葉に、私は頭を殴られたような衝撃を受けた。そうか、彼は既婚者だったのか。だから顔も本名も明かさなかったんだ。私は彼の家庭を壊すつもりなんて毛頭なかった。ただ、彼に会いたかっただけなのに。
「そう…だったんだ。ごめんね、無理なこと言って」
私はそう返信するのが精一杯だった。涙が溢れてきて、スマホの画面が滲んだ。
その日を境に、私たちは連絡を取らなくなった。アプリを開くこともなくなり、レンの声も、彼が紡ぐ文章も、私の日常から消えていった。
心にぽっかりと穴が空いたようだった。彼との時間は、私にとって現実逃避の場所だったのかもしれない。でも、そこには確かに、愛と呼べる感情があった。
数ヶ月が過ぎた頃、私は夫と一緒に近所の公園を散歩していた。子供たちは友達と遊びに行っていて、二人きりの穏やかな時間だった。
「最近、なんだか綺麗になったんじゃないか?」
夫から不意にそう言われ、私はドキッとした。レンとの秘密の関係が、私を女として輝かせていたのだろうか。
「そうかな?」
私はとぼけてみせたが、夫は私の顔をじっと見つめて言った。
「ああ。なんだか、前よりもずっと魅力的だよ」
夫の言葉に、私の心は揺れた。私はレンとの関係を終わらせたことを後悔していた。でも、夫の言葉は、私にもう一度、現実の世界で愛される資格があるのだと教えてくれているようだった。
私は夫の腕にそっと自分の腕を絡めた。夫は少し驚いたような顔をしたが、すぐに優しく微笑んで私の腕を握り返してくれた。
レンとの恋は、幻だったのかもしれない。でも、その幻の恋が、私に忘れていた感情を思い出させてくれた。女として愛される喜び、そして人を愛する喜びを。
私はもう、週末だけの恋人を必要とはしないだろう。私には、この腕の中に、確かな愛があるのだから。




